カウベル母娘の「庭めぐり旅日記」

第4話 喰いしんぼうの A・LA・CARTE!

(その2)庭園を愛してきた国だからこそ。<上>


☆ ながい「はしおき」のおわび。<m(__)m>

 今年年頭、<おしながき>から書き始めた第4話だったが、1年近くもオーダーストップして、ご覧くださった方のお箸を置いたままの状態にしてしまいました。

 モグラさんのご好意に甘えてこの連載を投稿するうちに、デジカメの扱いに興味をおぼえ、そのうち極力美しい庭や花や風景の画像でなければ掲載したくないというこだわりをもつようになってしまいました。
あれから、何度か小旅行を企てましたが、そうした興味ある被写体にめぐり合うことが出来なかったのです。

 美しい被写体といえば、何といっても海外に行けばめぐり合うのですが、定年まえの私にはまだ忙しい本業の仕事があって、憧れる西洋の美しい庭めぐり旅は(これはモグラさんの海外レポートに指をくわえて拝見するだけで我慢しています)できず、国内のしかも岡山を中心にした狭い西日本が主たる行動範囲だからなのです。

☆ 宮崎に誕生した英国式庭園。

4つの庭のメインゲートとなるヴィクトリアンゲート。品格のある趣は来園者の気持ちを英国に誘う。

 11月下旬のある日、おとうさんは仕事仲間との会合が宮崎市の郊外、シーガイアで行われる機会に恵まれました。

 シーガイアといえばご存知のように、静かな松林の中にゴルフ場ほか各種のスポーツ施設の併設された大規模ホテルで有名なオーシャンリゾートなのだが、まず、おとうさんの頭に浮かんだのは5年前、この場所で開催された、都市緑化フェア、グリーン博‘99の会場に、英国を代表するガーデンデザイナー、ロビン・ウイリアム氏が設計した英国式庭園が造られて話題になった、という記憶でした。
 そこで宮崎に発つにあたって、若干の予備知識をつけておこうと、当時の情報資料を探しているうちに、ある雑誌社の特集記事に目がとまりました。
そのなかに次のような設計者の談話があったのです。

「今回宮崎につくった4つの庭は、英国のどこでも見ることの出来る典型的な庭です。コテージガーデンは自然な庭、フォーマルガーデンはきっちりとしたデザイン性の強い庭、シーサイドガーデンは海辺の漁村の風景、メドゥガーデンは牧草地の風景、というように英国のいろいろな景色を取り入れています。家と庭の関係は非常に重要で、スタイルや雰囲気が合わなければ、どちらも魅力的には見えません。
そのためこの英国式庭園では造園だけでなく、建築にも時間をかけています。
松林は重要な役割を果たし、ガーデンハウスが緑のベールに包まれているような効果をもたらしています。この松がなければガーデンハウスのコーナーなどは、バラバラの印象を与えていたかもしれません........。」


 この記事を読んだおとうさんは、当時、日本初のイングリッシュガーデンとして注目され、多くの人を魅了したであろうこの庭の素晴らしさを、遅まきながら探ってみようと思い立ったのです。

☆ イギリスまで出かける時間がない、庭好きの参考になる「ショウガーデン」。

 ショウガーデンとは英国の有名なイベント、チェルシー・フラワーショーなどで造られるようだが、日本ではここが初めての試みらしい。
いわば住宅展示場のモデルハウスのようなもので、モデル庭園といったところだろうか。
それだけに本場の英国式庭園を、そういう形で日本に公開するにあたって、本場の最も特徴的な要素をもつ庭の形式が4つ選ばれた。
中央に設けた実物大のガーデンハウスを軸にして前後左右に4分割して、「本格的」という表現にふさわしい庭が誕生したわけだ。

 たまにであるが、外国映画のなかで和服?の日本女性が登場する場面がある。登場した日本女性とおぼしきその衣装をみて笑ってしまうことがある。
西洋人からみると、東洋は日本も中国も同じようにみえるのか、日本伝統の民族衣装が中国のそれと混同しているのである。
「本格的」とは、日本人が見て、それはまぎれもなくわが国そのものだと、うなずける姿形であるべき筈である。
そのような「本格的」を当庭園は追求していることだ。

 英国人がみても、これはまぎれもなくイングリッシュガーデンであると納得するほどの出来ばえに苦心した点であろう。
たとえば、造園資材は設計者の図面を元に英国で数量を割り出し、膨大な量の建築、造園材料、ガーデンオーナメント、ペンキなど資材の約80%が本国から輸入された。
そのほか、植栽リストの調達、両国の施工事情の違いなどの苦心は設計者のアドバイスに忠実に従い克服したそうである。

生活の庭をイメージしたコテージガーデンがあるハウス北面。 設計者はハウス西面を英国南海岸のカラフルな建物が並ぶ港町をイメージした。
ハウス南面のフォーマルガーデンは貴族の庭であり見て楽しむ庭だ。 ハウス東面は英国の静かで落ち着いた牧草の繁る田園風景である。


☆ これほどの庭がその後PRされていない不思議。

 グリーン博という、会期2ヶ月のイベントとはいえ、この庭園をつくるにあたって、相当の年数と労力と費用を費やしている。
その出来ばえは格別にすばらしく、数多くの入場者を魅了したと記事にある。
それにしては、その後これといったPRもせず、放置状態にしているのは何故だろうか?
おそらく想像であるが、「南国」「神話のふるさと」といった当県の観光イメージにそぐわないのか?或いは、英国に憧れるガーデニング愛好者が全国的に増えつつある実情を、当局がまだよく把握していないのか?

 それはともかく、一フアンとして考えたとき、大勢の人々がどやどやと入場する公園のような状態よりも、プライベートな庭の如く、ひっそりと人気の無い場所にたたずんでいてくれた方がむしろ似合っている、と思わないわけでもなかった。

はたしてこの庭は今でも存在するのだろうか?

コテージガーデンは、果樹、バラ、宿根草、ハーブを中心にした花の庭である。


☆ 観光県「みやざき」

 暦の上では、立冬からすでに20日も過ぎたというのに、亜熱帯植物が自生する、ここ宮崎市では気温が20度以上もあり、太平洋から吹いてくる爽やかな風がまだ心地いい。オーシャンリゾートと呼ぶだけのことはある。

 おとうさんとご同輩ならご存知と思うが、ご当地は数十年前ハネムーンのメッカと言われた時期があった。
三島と言われた青島、霧島、桜島を巡るコースに人気があった。
今の若者が聞くと、「えーっ!」「うっそーっ!まじ??」と云うにちがいないが、当時、新郎はネクタイにダークスーツ、新婦といえば晴れやかなドレスに白い帽子というスタイルが定番であった。

 ご当地のガイドさんによれば、当時このスタイルの新婚さんで満員の観光バスが何十台も連ねて、青島から日南海岸を経て安産の神様「鵜戸神宮」へ向かったという。アツアツの新婚が大挙して当地に乗り込んできたものだから、人々は妬みからか「石を投げれば新婚にあたる」と言ったそうだ。

ハウス北面は、100年まえからそこで暮らしてきた人々の生活が表現され、手作りのような家は何度も修理され使い古された雰囲気がある。

 あの当時、うちのカミさんもここに来たかったそうで、しばらく悔しい思いをしたそうだが、ガイドさんからそんな話を聞かされて、おとうさんはここに来なくてよかったと思った。
 数十年の時がながれて、夫婦でこの地を踏みカミさんの念願は叶ったわけだが、さて自分たちの蜜月はどうだったか?今となって思い出そうにも、その後長い歳月で積み重ねた年輪の内側は空洞と化して、遥か忘却の彼方にある。

 しかし思えば、大挙して新婚さんが安産の神様に参拝するような時代が再び到来して、早晩「少子化問題」が解消しないことには、今の若者の将来は明るさに乏しく、「えーっ!」「うっそーっ!まじ??」といった呑気な気持ちでは済まなくなりそうだ。

 ホテルに隣接する「ワールドコンベンションセンターサミット」というやたら大きな会場で所用を済ませた翌日、早速この本格的な庭を探索に出かけることにした。
 まず、若いホテルのボーイに尋ねてみたが知らないという。事前にインターネットで検索したのだが所在は不明であった。

あれから5年の歳月が経過して、果たして残っているのか?もしかして維持管理に手数が掛かるため取り壊されてしまったのか?些か心配になったが、ホテル近隣にある「フローランテ宮崎」に行ってやっと所在が分った。

 「この奥1キロほどの松林のなかにあります。入場無料です」と教えてくれた。
しかし、道案内や表示看板の類は一切なく示された方角に歩くだけである。
松林のなかをしばらく歩いて、あたりが完全に外界からシャットアウトされた、緑のベールのなかにその庭はひっそりとたたずんでいた。(つづく)


<参考文献>マルモ出版発行「GARDEN&LANDSCAPE」




(その1)「祖国」とは何だ! (その2)庭園を愛してきた国だからこそ<上>
(特別編)後楽園とポール・スミザーさん

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再開を待ちかねていましたぜ、カウベルさん。
モグラも憧れた宮崎の地にロビン・ウィリアム氏の庭園があったとは!(モグラ)

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