カウベル母娘の「庭めぐり旅日記」
第5話 シネマで巡る郷愁への旅路。
(その3) ローマの休日


☆ そんな話は「ありうる」と「ありえない」の違い?。

そんな話は「ありうる」と「ありえない」の違い?

仮に、もしもそんなことが起これば実に楽しいことだし、どうしてそんなことになったの?それからどうなるの?と心がわくわくするだろう。
映画はそんな欲求を満たしてくれることがある。

今から半世紀ほど前、映画全盛期の名作を懐かしく思うのは、日常生活でありうる話からもう少し飛躍して、ひょっとしたらそんな話があってもおかしくない、という程度に踏みとどまった品よく綺麗な作品が多いからですね。

この点、最近の映画は飛躍しすぎるきらいがあって、どう考えてもそんなことはありえない、きわめて現実離れした興味本位の作品が多くなって失望してしまうのです。

当時の名作「ローマの休日」は、そんな意味で今でも世界中の人々に新鮮な感動を与え続けていると思う。

この作品は、1952年夏イタリアの古都ローマで撮影された。
物語はもうご存知のように、ローマ訪問中の欧州某王国の王女アン(オードリー・ヘップバーン)が余裕のない公務日程にヒステリー状態となり、深夜一人で宿舎を抜け出す。
偶然出会った米国新聞記者ジョー(グレゴリー・ペック)に導かれてまる一日をかけて、ローマの街を飛び回る爽やかで淡いラブロマンスの「夢物語」でしたね。

この映画を観ていると、ローマ観光コースの有名な由緒ある場所が次々と舞台となって登場する。
「実はあのミケランジェロがこの映画の美術監督の役割を果たしてくれた」と監督のウイリアム・ワイラーは語っています。

この絵はご存知スペイン広場の階段の場面ですが、アン王女はカーネーションの花を手に持ちジェラードを食べている。
カーネーションは階段下の花屋の親父に貰ったもので「今朝ポルトフィーノ<第3話その2参照>から着いたばかりだよ」という親父さんの話から、イタリア北部ジェノバ近くでこの花が大量栽培されていることがうかがえる。
この映画公開以来、日本でもオードリーのショートカットは大流行したし、若者は街を歩きながらモノを食べるのが平気になってしまった。

オードリーは世界の恋人になった


☆  オードリーは世界の恋人になった。


「ローマの休日」が大当たりしたのには様々な見方があると思う。
ミケランジェロが美術を担当したというように、重厚な歴史的建造物や彫刻や壁画の残るローマを舞台に選んだこともその一つだと思う。
これが「ロンドンの休日」や「ニューヨークの休日」だったなら、このように落ち着きのある品の良い雰囲気になったかどうかは疑問ですがね。

この年、英国でエリザベス女王の妹マーガレット王女と武官タウンゼント大佐の悲恋が報道されて、世界は「王女と平民の恋」に関心が集まっていたことも一役買ったことになる。

しかし、私だけでなく誰しも納得する理由は、新人オードリーの抜擢にあったと思うね。
余談になるけど、あの作詞家で映画好きの阿久悠が
「ローマの休日は綺麗な作品だがショックを受けるような映像なんかひとつもない。逆に言えば現実にオードリーが存在することの方がショックだった。
あれが女としたら俺の周りにいる奴らは何なのだぁ!と言って同級の女の子たちに随分と怒られた」
と語っているのを何かで読んだことがある。

私も同感だがそこまで口に出したことはない。ただ思ったことが正直に喋れる阿久悠が羨ましいとは思ったけど。(^_^;)\☆!

イギリス人銀行家の父とオランダ貴族の母の間に生まれ、バレエを習い、数カ国語を話し、当時イギリスの舞台と映画で端役を演じていた無名のオードリー抜擢については次のようなエピソードがある。

カミさんの「ローマの休日」(^_^;)


「若さの化身だ。王女そのものだ!あっという間に世界中が彼女に恋してしまうだろう」―撮影が終わり、ラッシュを見たハリウッドのベテラン監督は感動のあまり涙をおさえることができなかった。<20世紀シネマ館>

ワイラー監督は彼女の舞台「ジジ」を見るなり、もう彼女以外「ローマの休日」の若き王女は考えられないと誓った。ところが「ジジ」の作家のコレットばあさんはオードリーをモナコのホテルでひと目見るや、「ジジ」はもう彼女以外許さないと言った。<世界シネマの旅>

ところで私はオードリーのプロマイドを模写するうちに、
「画家は何でも解かる万能でなければ絵は描けない」と言ったあのレオナルド・ダ・ヴィンチの話を思い出した。
人間を解剖してその骨格を調べ、筋肉がどのように動くかを研究して絵を描いたという話を。

残念ながら私は美容、美顔のテクニックを知らない。もし私が美容師だったら、もっともっと美しいオードリーを描けたかもしれないけれど。


☆ カミさんの「ローマの休日」(^_^;)

トレヴィの泉

私は、ものすごい方向音痴のカミさん<第3話その1>に、本業をリタイアーしたらほんまに海外旅行に同行すると約束していた。
そのチャンスを得て、先日まる一日だけローマを見物することが出来ました。
夜着いて、一日置いてその翌朝ローマを発ったので、偶然にもローマ滞在はあのアン王女と同じ条件になった。

私はローマにきたらあのオードリーに会えるような気がして、街をキョロキョロしましたが、大体は似ても似つかぬ女性が大半で、特に王女さまがジェラードを食べたスペイン広場の周りはひどいものでした。
それでも気を取り直して王女の居た同じ場所に立つ老女の記念写真を撮りましたが、あいにく背景のトリニタ・デイ・モンティー教会のまえにある塔は修復工事中だった。


☆  トレヴィの泉。

もうここは有名な場所です。スペイン広場から500メートル、歩いて5分ほどのところにあります。
アン王女はこの泉のほとりにあった理容店でロングヘアーをショートカットにします。理容師がため息をつきながら「Off!」「Off!」と呟き、ヘアーをカットしてゆく場面を思い出しますね。

5月というのに真夏のような暑さ、ここで2ユーロ(約300円)のジェラードを食べて、その美味しかったことはローマの思い出になります。

真実の口


☆  真実の口。

サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の「真実の口」の前で
「嘘をつくと差し入れた手を食いちぎられるんだ」とジョーは手を差し込み悲鳴をあげると、アン王女は驚いてジョーにしがみつく場面があった。
グレゴリー・ペックはこのシーンをアドリブで演じたといわれる。

行ってみると世界中の観光客が行列をして、入れ代わり立ち代わり手を差し入れては写真を撮っていた。



☆  当時と変らないローマの面影。

ジョーは王女をスクーターに乗せてこの辺りを走った。
情景で変ったのは車だけ、背景の建物や木々は当時の映画そのままだ。

☆   夜のバルベリーニ通り。

王女が深夜トラックの荷台に忍び込み、滞在先の大使館からこの坂道を下ってゆく。
ここからアン王女の「ローマの休日」が始まるのだが、24時間後再びこの坂道をジョーに送られて帰ってくる。

当時と変らないローマの面影


帰館後、心配をしていた側近が

「24時間もの間何をなさっていたんです? 私たちには祖国に対する義務がございます。それは王女様も...」

と質すると

「私に向かってその言葉は二度と使わぬように。祖国と王家に対して義務があればこそ戻ってきました」

とアン王女は毅然として応える。ヒステリー状態から完全な立ち直りをみせるこのシーンは、この映画がしっかりとした脚本によって組み立てられた名作であることを印象づける。

☆   感動のラストシーン。

夜のバルベリーニ通り

ラストシーンは翌日の記者会見の場面。臨場感を出すため本物の新聞記者や貴族達をエキストラに使ったという。
謁見場に入場したアン王女は記者の中にジョーが居ることが分かってやや動揺の表情を見せるが落ち着いて記者の質問に応える。

以下ラストシーンの字幕でその場面を再現してみよう。


「連盟構想は経済問題の解決になり得るとお考えですか?」
 王女「ヨーロッパ諸国の緊密化を促す計画には全て賛成です」

「諸国の友好関係についての展望をお聞かせください」
 王女「友情を信じます。人々の友情を信じるように」
ジョー「自社を代表しまして一言、王女様の信頼が裏切られる事はないでしょう」
 王女「それを伺って大いに満足です」

 
「最も印象に残った訪問地は?」
王女「いずこも忘れ難く良し悪しを決めるのは困難...ローマです。勿論ローマです。今回の訪問は永遠に忘れえぬ想い出となるでしょう」

「病で倒れられたのに?」
 王女「そうです」

感動のラストシーン



会見のところどころでアン王女の視線がジョーの立つ方角に向くのは、王女という宿命を背負いながら切ない女心をのぞかせる演出なのか。
何度この映画を観てもホロリとさせられる見事なラストシーンである。

モグラさんのお陰で拙レポートを書いていますが、今回は映画好きのこの私に数々の感動を与えてくれ、今でも私の心の中に生きている天国のオードリーにこの拙文を捧げたい。








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フジサキィーノからリューゼツランを持ってローマに着いたカウベルさん。
カウベル家のアン王女もさぞかしご満足でせう。続編をお待ちしておりまする。(モグラ)

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