モグラの旅行記 旧白州邸「武相荘」
日本で初めてジーンズを履き、ポルシェ911Sを乗り回し、ゴルフに興じた男。
原理原則(プリンシプル)を重視し、GHQをして「従順ならざる唯一の日本人」と言わせた男。
サンフランシスコ講和会議に全権団顧問として随行し、首席全権「吉田首相」の受諾演説が「われわれは戦争に負けたのであって、奴隷になったのではない。英語でスピーチとは何事だ。」と激怒。急遽、日本語で毛筆の巻紙に書き直させた男・・・・その名は「白洲次郎」。
とある日、姫のお供でモグラが上京したと思いねぇ。(なんで?急に江戸っ子になるんでぇ!) ご用がある夕方までに、ホンの数時間、空き時間が出来たのじゃった。 弥次「姫様、どちらへ参りませうか?」 喜多「そうじゃのぅ、銀座・赤坂・六本木。チャラチャラ流れるお茶の水も、少々、飽きたのう。そうじゃ、じぃ、“ぶあいそう”にでも行ってみようぞ。」 弥次「えっ!じぃは初めてお聞きするのでするが、その無愛想なお方のお名前は何と申されますか?」 喜多「じぃ、人ではない、場所の名前じゃ。」 弥次「では姫さま、それはどの方角でござりまするか?」 喜多「そうじゃのぅ、よう分からんが“町田”とか言うとったぞ!」 弥次「それだけでは、じぃには、とんと!分かりませぬ。他に手がかりはござりませぬか?」 喜多「白州邸じゃ、じぃは白州次郎を知らんのか?」 弥次「はい、じぃは未だ食したことがござりませぬが・・・」 と、まぁ、こんな弥次喜多道中でござりました。 |
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携帯片手に「武相荘」を検索し、電話番号を探し当て、やっとこさ場所を聞き当てましたぜ。新宿から小田急線に乗って、ここ「鶴川駅」までやってきました。 鶴川駅北口から、歩いて15分ほどの山あいに「武相荘」があります。どうやら、この場所が「武蔵」と「相模」の境にあるところから、「武相荘」と名付けたらしく、白州次郎のウィットを感じました。 入り口手前の「休憩所」に、白州次郎の写真が飾られ、例のポルシェも置いてあります。 |
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白洲夫妻は、太平洋戦争の戦況が徐々に悪化していることから、空襲や食糧難を予測して農地の付いた郊外の家を探していました。茅葺き屋根の古い農家を見付け、1942年10月に購入、翌年に引っ越してきたのです。 内部は撮影できませんが、萱葺き屋根の母屋・納屋など、ほぼ全域が公開されています。 白州次郎・正子夫妻の書斎や家族の居間、家具や持ち物、写真類、次郎手製の調度品や実際に使った農機具などが展示されています。 農家の土間は“タイル貼り”で、応接セットが置かれ、部屋に入ると囲炉裏が切ってあります。 |
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囲炉裏の自在鉤には鍋がかかり、傍らに真っ赤に茹で上がった“ガザミ(ワタリガニ)”が置いてありました。次郎が京都に出張したとき、購入したカニで、正子は「松葉ガニを買ってくると思っていたから不機嫌だった。」と書かれた、館長 牧山 桂子さんの文章に、クスッと笑ってしまいました。 プリンシプルを重んじハッキリとモノを言う白州次郎ですが、奥様にだけは頭が上がらなかったのですね!?(よくある話じゃ!) 次郎は遺言書に「葬式無用、戒名不用」と残し、昭和60年(1985年)11月、80歳の生涯を閉じた彼の軌跡は、NHKドラマスペシャル「白洲次郎」をご覧下さい。 第2回は、明日(2009年3月7日(土))、NHK総合で放送されます。 |