英国縦断庭めぐりツアー(スコットランド〜湖水地方〜コッツウォルズ) 特別寄稿

    
湖水地方の思い出!』
(Lake Disfrict) あこがれのヒルトップ!



 キング・アーサーが守った“ハドリアヌスの城壁”を越えると、そこは“湖水地方”だった!!

 カンブリア州に位置する湖水地方は、わずか50km四方の中に、大小あわせて500の湖があります。なかでも有名な16の湖と、イングランドとしては珍しい高い山々が連なり、英国でも屈指の美しさを誇る絶景の地です。氷河期に作られた湖水地方の自然を遮るのは、石造りの家が点在する小さな村々と、丘や草原を縫って走る石積みの塀だけでしょうか。(地元で採れる“粘板岩”を割ってスレート状にした石を、一個一個丁寧に積み重ねたのです。)

 そんなの豊かな自然を愛した2人の作家“由来の地”を訪ねてきました。
その一人は、ここで人生のほとんどの時間を過ごした19世紀のロマン派 桂冠詩人“ワーズワース”
そして、“ピーターラビットとその仲間たち”の作者として知られる“ビアトリクス・ポター”。

↓ 「湖水地方のMap」(クリックすると大きくなります)

 私達はグラスミア(Grasmere)で、ダヴコテッジとワーズワース博物館を見た後、ホークスヘッド(Hawkshead)へ向かいました。ホークスヘッドからは、2つのグループに分かれて湖水地方を散策しました。

A班:“ホークスヘッド(Hawkshead)”を散策、ビァトリクス・ポター・ギャラリーなどを見学
 蒸気機関車で“ハーヴァースウェイト(Haverthwaite)からレイクサイド(Lakesaide)”へ
 ウィンダミア湖遊覧船に乗り換え、40分間のクルーズで“ボウネス(Bowness)へ”

B班:ニア・ソーリー(Near Sawrey)村の“ヒルトップ(Hill Top)”まで往復約8kmのハイキング

 湖水地方で一番大きな湖“ウィンダミア湖”は、南北17km、東西2kmの細長い“くの字形”をしています。私達のホテルは、ウィンダミア湖のほぼ真ん中、“ボウネス・オン・ウィンダミア”のフェリーボート乗り場近くにありました。(ボウネスが港で、ウィンダミアは町と言えるでしょうか?)

 このホテルは国内からのお客様が多く、家族連れや初老のご夫妻がくつろいでおられました。(増改築を何度も繰り返し大きくなったのでしょう、レストランに行くにも迷いそうなホテル。でもリゾートホテルらしく、部屋が広くてベッドは3つもありました。)
 ワーズワースが29歳の時、妹“ドロシー”と一緒に引っ越してきたのが、この“ダヴ・コテッジ(鳩小屋という意味)”。17世紀初に建てられ、彼が来るまで小さな宿屋でした。(ワーズワースの食事は「1日3食のうち、2食はポリッジだった」と言うほど質素でした。友人達はこの簡素な食事を嫌がり、食事時間になると2階の窓から逃げ出したそうです。)

 彼は8年間ここに住み、代表作、“水仙”“虹”“草刈る乙女”などは、ここで書かれたものです。(当時、家からウィンダミア湖が見えたそうですが、今は建物に隠れてしまいました。週に一度だけ通る“郵便馬車”の音を聞き、「近頃、うるさくなった」と言ったそうですから、それほど静かだったのでしょうね。)
 ワーズワースが9歳〜17歳まで通ったグラマースクールのある町“ホークスヘッド”。高台にある教会から町が一望できます。
 ホークスヘッドはこの辺りで一番大きな町で、湖水地方の中心地です。この町から見て、近い所にある村が“ニアー・ソーリー村”、遠い方が“ファー・ソーリー村”となるそうです。

 ポターの代表作『まちねずみジョニーのおはなし』はこの町が舞台になっています。(ポターは印税が入るたびに周辺の土地・建物を買い取ってきました。ピーターラビットの世界を活きたまま残そうと考えたのです。この移転手続きをしたのが、弁護士ウィリアム・ヒーリス。)1913年、47歳のポターは、年下の弁護士と結婚しています。

↑この教会を始め、この地方には“ケルトの円環十字架”がたくさん残っています。ケルト人は太陽神を信じ、あらゆる存在に神が宿ると考えていました。「どんな小さな命をも慈しみ、大切にする」という考えは、日本の八百万神にも通じますね。
 いそいそとヒルトップへ向かったB班6名を見送った後、A班はウィンダミア湖西岸のくねくね道を通り“ハーヴァースウェイト(Haverthwaite)に向かいます。
 蒸気機関車のチケットを買い、ホームに出るとすぐに折り返し列車が入ってきました。慌てて陸橋に上がり、機関車の入れ替え作業を写すことに成功!(久しぶりの蒸気機関車にモグラは大興奮!本物の石炭を焚き、白煙を上げて近づいてきました。)

 (ハーヴァースウェイト駅のホームはどこかで見たような覚えがある?どうやら「ハリー・ポッター:賢者の石」で、特急列車が出発した“キングス・クロス駅”9と3/4番線はこの駅に違いない!)
 (特急列車が“ホグワーツ魔法学校”に着くと、組み分けの儀式が待っていた。勇気あるA班は、もちろんグリフィンドールに決定。ハリー・モグラーは、勇んでウィンダミア湖クルーズへと向かった。)

 大きな遊覧船は、鏡のように静かな湖面を滑るように走り、快適な船旅でした。船の回りをカモメが飛び交い、その先の“オールド・イングランド・ホテル”が私達を向え入れてくれました。(ウソでっせ!バーンサイドホテルに帰りました。ボウネスまで40分のクルーズでしたが、湖から緑豊かな丘を見るのもオツなモンですぞ。)
(楽しかった“B班”の旅は、Oさんがレポートしてくれました。お後が宜しいようで、真打ちと交替しませう。)

 小さな小さな村!“ホークスヘッド”
そこは“ピーター・ラビット(Peter Rabbit)”の作者、ビアトリクス・ポター(Beatrix Potter)ゆかりの地。
 夫、ウィリアム・ヒーリス(Willie)氏の弁護士事務所だった場所にビアトリクスポターギャラリーがあった!此処でも確かに作品に触れることも出来る。でも私達は「これで終わり」に耐えられなかった。折角のフリータイムをいただけたのに!!!
 私達はもっと触れる為、ポターの過ごしたヒルトップ(Hill Top)を訪れた。
 ところがニアソーリー(Near Sawrey)村に行く交通手段は、歩くしかないのです。方向もアバウトな上に、距離も3〜4Kmとか!
 でもご安心を。この旅行を支えてくれる大切なお方、添乗員大西さんが同行!
 総勢6名が、耐力&体力を考えず、あこがれのヒルトップを目指してスタート!

 足元はデコボコ、時折通る車が道幅を占領しながらも、ご覧のような風景と片面に野イチゴのつるの自生群を眺め、森と湖から伝わる風が私達を導いてくれるかのように進みました。
 1905年10月、Potterは彼女の出版社に一通の手紙を出しました。「今度の私の買い物を、周りの人は皆んな冗談だと思っているようです。自分の丘を散歩する時は、巻尺をもって行っています。」その年の夏、Beatrixはヒルトップを購入しました。
 静かで、眺めが素晴らしい村!
そのニアソーリー村は小高い丘のふもとにありその側に農場、ヒルトップ!ポターの世界です。
 タイムスリップする心のときめきを感じながら入場口の木戸を開けました。家の中はポターの遺した言葉通りの設え!配置、それらはポターの裕福な環境が伺えるコレクションの数々です。私はその場を立ち去りがたく、すてきな本を買ってしまいました。
 牧場とグラスのなびく草原の間に造られたフットパスを6人、心地よさを感じながら!
大自然に自生した植物を愛でながら…!
復路5km程?ウインダミアの湖畔までの完歩!でした。

 右の写真はヒルトップの外れ。
ほれそこに“うさぎ”が走るのが見えませんか??雑草地の中にあったフットパスを心地よく踏みしめながら帰路ウインダミア湖の方向へ

[ 独り言 ]この地に泊まりが叶ったら............。
 私にとって、最高の思い出、湖水地方!
 ビアトリクス・ポターが愛した村!ピーターラビットの誕生地。
 “ヒルトップ”で見た風景は、ピーターが家に向かうスロープや、猫のトムが食事をしたテーブルがそのまま残っており、物語の舞台がそのままそこにありました。
      (この項の写真と文章はOhsumiさんにご提供頂きました。ありがとうございます。)

コテージから見た風景↑“The Tale of Samuel Whiskers”の舞台になった小径“Stoney Lane”

The Burnside Hotel
Kendal Road,Windermere LA23 3EP , UK
TEL:+44-08700-468-640、FAX:+44-08700-468-621

訪問日:2004/07/05(mon)〜07(wed)
HP:http://www.uknow.or.jp/

“スコットランド人”はケチだと言いますが、湖水地方にもおられましたぜ“究極のケチ”が!
ウィンダミア湖の北端“アンブルサイド村”の“ブリッジ・ハウス(小川の石橋に建てた家)”は、
不動産税を払うのが嫌で、17世紀にスコットランド人が川の上に建てたんだって?・・・(モグラ)


湖水地方は“人生を変えた”出会いの地!
 ワーズワースは晩年、アンブルサイド村から2kmほどの“ライダル・ウォーター湖畔”に建つ“ライダル・マウント”に住み、ここで『湖水地方案内』を執筆しました。これらの功績が評価され、73歳の時“桂冠詩人”の称号が贈られています。彼は80歳まで長生きし、今はグラスミアの“セント・オズワルド教会”に眠っています。(そう、皆さんがお土産に買い込んだ“サラおばさんのジンジャーブレッド店”は、この教会の隣でしたよね。)
 ワーズワースは、この地で初恋の人“メアリー”と出会い、3人の子供に恵まれました。妹のドロシーとメアリーは献身的な愛で彼を支え、晩年不自由になった彼の目に代わり、口述筆記をしながら創作活動を助けました。

 一方ロンドンの裕福な家庭に生まれた“ビアトリクス・ポター”が、はじめて湖水地方を訪れたのは16歳の時でした。雄大な自然に感動した彼女は“湖水地方”に住みたいと願ったのです。そしてこの時、自然景観の保護活動をしていた“ハードウィック・ローンズレイ司教”に出会います。
 司教はポターの絵の才能を認め、ことある毎に勇気づけてきました。彼女の絵が挿絵に採用されたり、かつての家庭教師の子供に送った絵を見た司教は、思い切って出版することを奨めたのです。この後押しがなかったら、名作“ピーターラビット”が陽の目を見ることはなかったでしょう。
 彼女は出版で得た印税で、“ヒルトップ農場”をはじめ、4,300エーカー(526万坪)もの土地や建物を手に入れ、すべてを“英国ザ・ナショナル・トラスト(NT)”に寄贈しました。
 左のスタンプは、産業革命による自然環境や歴史的建造物を破壊から防ぐため設立したNT創設者の3人です。
左から社会改良運動家のオクタビア・ヒル女史、弁護士のロバート・ハンター氏、そして右端がローンズレイ司教です。
 “1人が1万ポンド寄付するより、1万人が1ポンドずつの寄付を!”がモットーのNT創設に貢献したポターですが、司教との出会いが彼女の運命を変えたとも言えそうですね。
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  訪問日程表  (1)ハモンドさん  (2)ブランクリン  (3)グリーンバンク  (4)ゲイルストン  (5)インバレスクロッジ
(6)マレニー  (7)ビーチグローブ  (8)ウーラートン前編  後編  (9)デビッドオースチン  (10)ルガース
(11)ウィズリー  特別寄稿“旅の半ばで” “湖水地方の思い出” 
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