カウベル母娘の「庭めぐり旅日記」

第2話 「モネの庭マルモッタン」を訪ねて土佐浜街道をゆく。

(その2 水の幻影と庭師モネの情熱)



☆ 恐しい神の悪戯。!?

 印象派の第一人者、クロード・モネ(1840−1926)を知る手がかりとして、好きな映画をひとつの時代考証にした庭師(^0_0^)(1940−?)は、さらにこの偉大なる画家の足跡をたどる内に、自分がモネの生誕100年目に生まれた偶然の悪戯に一瞬軽いめまい(@_@。をおぼえる。
 花と庭に異常な情熱を注いだ巨匠と、異常な庭狂いとの、生誕の不思議なめぐり合わせに、(^0_0^)は何か宿命的な因縁を感じて思わず納得してしまうのだ。^^)♪??

☆ ガーデニングブームだった19世紀末のヨーロッパ。

 オリエント(東洋)の入り口、イスタンブールに向かう急行列車がもてはやされた当時、欧州の国々は、植民地化したアジアの各地から珍しい花々を競って自国に持ち帰り、さらに発達した科学の力でたくさんの園芸品種改良を行っていた。

 セーヌ川流域、ジヴェルニーで家と土地を手に入れたモネはそれまで以上に庭づくりに情熱を傾け、1893年池の庭をつくる。そこに植えられた睡蓮は、北の地に適した耐寒性の品種と開花期の長い熱帯性のものが選ばれているという。

モネの庭マルモッタンの「池の庭」。当時と変わらない自然の光と影。ヘルプ(1)   2001/8/4撮影
水と光が織りなす実像と虚像のハーモニー。
                 2001/11/10撮影


☆ 「趣味」と「主義」のちがい。当時の日本ブームからの考察。

 19世紀後半のフランスでは、開国した日本から大量の文物が流れこみ、一種の日本ブームが起こった。和服をガウンにしたり、扇子を壁に飾った日本趣味が流行した。画家がそうした日本の文物を異国趣味として画中に描くのを「日本趣味」と考えるとすれば、クロード・モネの作品のいくつかが浮世絵の構図と類似しているように、日本の美術や思想から得た示唆を芸術の変革に結びつける動き、これを「日本主義」と考える。この2つの傾向が当時起こっていたというのだ。ヘルプ(2)

☆ 日本に渡ってきたフランスの「日本主義」

 ややこしい言い方だが、「モネの庭マルモッタン」を訪ねるに当たって、また本場ジヴェルニーの庭(※)が、正確にコピーされたものを観て、20世紀以降「睡蓮」に没頭する、美の巨匠クロード・モネを知るためにも判っておきたい。 里帰りしたフランスの「日本趣味」と誤解しないためにも。(つづく)

カウベル庭の睡蓮を沈めた水鉢。
この年開花しなかった。(T_T) 2001/8/19撮影

※ ジヴェルニーの庭
http://www.d1.dion.ne.jp/~oyasingo/France/Giverny/giverny.html

ヘルプ(1)⇒モネは水平に広がる睡蓮(実像)と、水面に垂直に反映するしだれ柳の影(虚像)をモチーフにした。作品には、「水」と「光」のモチーフが多く使われたが、晩年にはこの水と光が一つに融合する。

ヘルプ(2)⇒参考文献 「モネ。<睡蓮>への歩み」六人部昭典著 六耀社発行



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次第に解き明かされるヨーロッパのガーデニング。
そして、睡蓮に没頭したモネを!!
するどい解説、次回が待たれる・・・(モグラ)

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