カウベル母娘の「庭めぐり旅日記」

第2話 「モネの庭マルモッタン」を訪ねて土佐浜街道をゆく。

(その5、高知県北川村)



☆ 「キタガワムラ」と「ジヴェルニー」その「点と線」(・・?

 高知県安芸郡北川村と書けば司馬先生の「街道シリーズ」のようであるが、高知県北川村と記せば、なにやら横溝正史の推理小説めいておもしろい。
 ついでに松本清張文庫から、「点と線」もいただいた。

 浜街道を奈半利から山里に向かって、カウベルの車は北川村への路を辿る。
一昨年、庭狂がこの村に「モネの庭」が誕生したという、小さな新聞記事を目にした時、思わず「おや?」と首をかしげてしまった。
芸術の都、花のパリからそう遠くないセーヌの川辺にある「モネの庭」が、失礼な話(ご当地訪問後に認識は変わったのだが)どうして?なぜ?芸術的文化的な条件でかなり相違する高知県の片田舎なのか?
 さしずめ、古都京都に近くて、印象派の絵にでてくる景色がありそうな、琵琶湖の湖畔あたりなら納得したかもしれない。

 当時、覚えたてのPCを操って「モネの庭」HP(※)から得た情報を要約すると「柚子とワイン、自然と文化がミックスする交流」とある。庭狂は再び「えっ?」と思ってしまう。
 柑橘類と葡萄? 同じ果実ではあるがそれほどのご縁があるとも思えない。
 はたして、庭狂の疑問はいよいよ深まるばかりである。

☆ 謎が隠された?「歴史の方程式」!!(^_-)-☆

 明治維新の立役者「中岡慎太郎(※)」の生家は「モネの庭」とつい目と鼻の距離にある。
 室戸岬にそそり立ち、はるか大海原の彼方を見つめる彼の銅像は知っていたのだが、北川村の出身とは迂闊にも知らなかった。慎太郎は1838年にここで生まれ、1867年京都の近江屋で坂本竜馬と共に刺客に襲われ闘死した。元号が明治に改められた前年のことである。同郷の竜馬とともに倒幕運動に奔走し、日本の夜明けの胎動にかかわった熱血漢が生まれ育った場所だったのだ!ここは。

 (その2)でご紹介のように日本の開国は、クロード・モネの芸術にかなりの示唆を与え、以後モネの活動の変革を導いたといっても過言ではない。そして、実はその開国のタイミングに北川村で生まれた幕末の闘士「中岡慎太郎」の活動がかかわっていたのではあるまいか?まさか?ありうる?仮説である。もしこの仮説が真実だったと立証できれば、北川村とジヴェルニー、この2つの点は、線となってつながることになる!

 因みにモネは1840年生まれ、両者は遥かに遠い東洋と西洋の彼方で同じ年代を生きた傑出の人物なのだ! 

モネ<睡蓮の池>1907年
ヘルプ1 東京BS美術館蔵
モネの視点でとらえた睡蓮の池(2001/8/4撮影)カメラにモネの魂が...?

 
☆ 崩壊した「小さな灰色の脳細胞」(--;)!ポワロ氏(@Ω@)再び登場!
(エルキュール・ポワロの顔文字はソックリ!の(@Ω@)に変換。)

 庭狂の仮説はつまりこうである。

@ 日本の開国が仮に史実より遅れていたら、タイミング的にモネの「池の庭」は存在しなかった?
A慎太郎の活躍がなければ日本の開国は遅れていた?
 この逆説を読み替えると、慎太郎の活躍があったからフランスにモネの池が誕生した。ことになる。

 まず@の前提だが、日仏の通商条約は1858年に調印され、幕府は鎖国をやめてフランスと通商関係を開いた。浮世絵の影響が認められるモネの作品は1867〜1887年の間に認められる。1893年ジヴェルニーに睡蓮の池を造る。文献によると「池に藤棚を伴った太鼓橋が架けられたように、モネがこの庭の造成にあたって、庭を含めた日本の芸術からヒントを得たことは間違いない」とある。

 次にAの前提、1858年の開国に先立ち、慎太郎の活動はどうであったか?
年表によると、1858年21歳の慎太郎は大庄屋見習としてまだ北川郷にいた。1861年24歳で土佐勤王党に加盟、翌年京都に入って倒幕行動に加わり1867年30歳で闘死した。

 上記はPCの検索エンジンを駆使し、マウスを操ってWebサイトで知り得た情報である。(余談になるが坂本竜馬ですごいサイトがあるぞ!)
庭狂の組み立てた仮説は、あっけなく見事に崩れ落ちてしまった。江戸幕府は慎太郎が倒幕行動に加わる前、黒船到来を契機に鎖国を解いていたのだ!

 「ほほう!だからあなたの想像力はだめなのですな」どこからか(@Ω@)の声がする。「あなたの小さな灰色の脳細胞からでた推論にしてはおもしろかったですな!ところが、史実を検証せずに仮説を立てるとはすこし乱暴がすぎましたな!それだけじゃあないぞ!見落としの罠がある。この闘士の生家に立寄っていませんな!」謎解きの名人エルキュールポワロ(@Ω@)が皮肉っているようだ。

 Webサイト情報によると、「モネの庭マルモッタン」の敷地は、柚子ワイナリーをつくる予定地であったこと、村が政治ルートに頼らず純粋で熱心にジヴェルニーと再現許可交渉に当たったことが成功につながったこと、柚子の栽培は慎太郎が奨励していたこと、「慎太郎」は晩年の通称で、「光の画家」といわれるモネが生まれた1840年、丁度3歳になった中岡の通称がこの年に「光次」に改められていたこと。これらは事実である。

 カウベルの車は真夏の炎天下ようやく「マルモッタン」に到着した。
車を降りて庭の方に向かって歩こうとした時、娘が突然さけんだ。
「あそこで柚子のソフトクリームやってる〜っ!おいしそ〜っ!」(つづく)


柚子のアイスクリームが人気の園内レストラン
見晴らしのよいオープンテラスがある。


※ モネの庭マルモッタン
http://www.kitagawamura.net/monet/

※ 中岡慎太郎
http://www.interq.or.jp/tokyo/toshizo/nakaoka.html

ヘルプ1
文献によると、「モネの<睡蓮>は制作が進むにしたがって、主題が睡蓮の池から睡蓮の咲く水面へ、そして水面の反映へ推移してゆく。
この作品は水面の反映が画面の主題になっており、睡蓮そのものは簡単な描き方である。」という。




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ポワロ氏か?カウベル氏か?・・・真剣な推理は特筆に値する。 
がぁ〜〜。・・・「柚子のソフトクリームやってる〜っ!おいしそ〜っ!」でチャン、チャン!!
ソフトクリーム大好き“みっちーさん”もキット大喜び\(^_^)/・・・(モグラ)

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