カウベル母娘の「庭めぐり旅日記」

第2話 「モネの庭マルモッタン」を訪ねて土佐浜街道をゆく。

(その6、終わりのない全体)



☆ 季節の中で感じる人生の移ろい。

池の庭に咲いた可憐な睡蓮の花
   (2001/8/4撮影)

 四季のある日本では、春先、夏場、秋口、冬場といった表現で折々の季節感をとらえることがある。日常生活や商売で季節の局面を的確に伝える言い方である。それにしても、酷暑、厳寒の季節、つまりなが〜く感じる時季を「場」と例えた人はえらい!なるほどと思ってしまう。反対にいい時節は短くてあっけない。口先だけということか?

「睡蓮」の花はこの夏場に水の上に浮かんで咲く。

 厳しい夏場を喘ぎながら凌いでいる人目には、格好の清涼剤である。
まもなく立秋だという夏真っ盛り、「モネの庭マルモッタン」をはるばる訪ねてきた価値は、この可憐な花を眺めているだけで充分にある。
モネはこの風景を絵画の世界でとらえたのだが、当時年齢は60歳を過ぎ、彼の人生を季節になぞらえると、秋口を過ぎて冬場にさしかかる手前であっただろう。

 池に浮かんだ「睡蓮」の花に見とれているうちに、ふと庭狂の脳裏にベトナム映画「季節の中で(※)」観た純白の「蓮」の花が蘇える。
この映画は、旅人庭狂が当時のモネと同様、秋口を通過して冬場に近づくおのれの人生を考える「いっぷくの清涼剤」となった作品として忘れがたい。


☆ 「睡蓮」の部屋。

池の庭に咲いた可憐な睡蓮の花(2001/8/4撮影)

  70歳近くなったモネは文献によると、この頃<睡蓮>の作品で一室を装飾することを考え始めたとある。そしてその考えを次のように伝えている。

 「あるとき、この睡蓮の主題でひとつの部屋を装飾したいという誘惑にとらわれた。壁に沿って、同じ主題で包むようにするのだ。そうすれば、終わりのない全体が、水平線も岸辺もない、水の広がりの幻影が生まれるだろう。仕事に疲れた神経は、静かな安らぎのなかで解き放たれる。」

 しかし、この考えはモネの存命中には実現せず、老いがもたらす衰えや白内障による視力低下と闘いながらも1926年86歳で死に至るまで<睡蓮>の制作に没頭していた。

 モネの死後、「睡蓮」の部屋は彼の構想にしたがい、パリのオランジュリー美術館に造られた。その規模は、2つの楕円形の部屋で構成され、縦2メートル、横の総延長90メートルに及ぶ<睡蓮>の作品が展示されているという。



☆ 終わりのない全体。

  庭狂はこの旅日記を書いているうちに、花を愛で、庭にこだわり、光や水を含めた自然と向かい合って絵画の制作に生涯をかけた、モネの生き様に共鳴し、特に<睡蓮>の制作に夢をかける晩年の人生観に興味を覚えた。

 <睡蓮>の制作過程で主題が次第に変化していくことは、前回ご紹介した。結局、モネは「睡蓮の池」から何を追求しようとしたのだろう?

池の庭に咲いた可憐な睡蓮の花(2001/8/4撮影)


ポワロ氏(@Ω@)が指摘するように、小さな脳細胞のたよりない想像力で、美の巨人が追求しようとしたものを探る術はない。ここはひとつ、文献の力を借りよう。

 前掲の「睡蓮」の部屋は、その中央に立って視線を水平に移動させながら鑑賞するわけだが、画面に描かれた水面に向かい合うというより、水の広がりに取り囲まれ包まれるという。モネが語った「終わりのない全体」はここに形成されているという。

 一方、視線を縦にやると、水に映る空の高みや、枝垂れ柳の反映がつくる限りない深みへと引き込まれてゆくという。
形をもたない水が地球上で循環しているように、この部屋に展示された作品が示す「水の広がりの幻影」は水平の循環をつくっている。そして水面の反映を介して垂直の循環と交差するこの部屋で、鑑賞者は自然の奥深い本質へと誘われてゆくというのだ。

 そして更に想像をすすめるうちに、水平の循環と垂直の循環、この2つの循環の中で自然の生命が生まれ育まれる。人間の生命もまた、羊水という水に浸され育まれる。というように解説を要約できる。

 「そうか!」おもわず庭狂は唸る。「晩年のモネは絵画の中に、静かな安らぎの場所を求めていたのか!?」

☆  旅、人生の回帰。

池の庭に咲いた可憐な睡蓮の花(2001/8/4撮影)

  庭狂は睡蓮の咲く「池の庭」を一巡して、オーナーと娘が熱心にみていたモネの展示資料があるギャラリーの方へ行こうとした。真夏の太陽は西に傾き、この高台から見え隠れする土佐湾をぎらぎらと照らしている。

 母娘を促して、名残惜しい「モネの庭マルモッタン」を後にして、浜街道を帰途についたのは、もう午後5時近かった。
高速「高知道」が「高松道」と交わる瀬戸大橋入口にさしかかった時は、日がとっぷりと暮れ、瀬戸大橋の上から対岸の下津井の灯かりが美しく輝いて見えた。

時計周りの旅はまもなく、ふり出しに戻ろうとしている。
人は皆旅人、そして果てしない、終わりのない旅路をぐるぐると巡る。
大橋を走行中、車の窓を開けた庭狂の顔を、夜の潮風が撫でながら通り去ってゆく。 


☆ あとがき

この旅日記を書いている内に、私は無性にモネの<睡蓮>に会いたい気持ちを抑えることが出来なくなっていた。
ある日、自宅から車で30分の距離にある大原美術館(※)にふらりと出かけた。春先の倉敷美観地区は若者で賑わっている。
美術館の重厚なメインホールの左壁中央にはエルグレコの「受胎告知」があり、それと向かい合うように右壁中央に<睡蓮>(※)が架っている。その前に立止まった私の体は、金縛りにあったように、暫くの間動けなかった。

(第2話完)

大原美術館の本館正面 大原美術館にもあったモネの池。
夏場にはジヴェルニーからやってきた睡蓮の花が咲く。(ヘルプ1)


※ 映画「季節の中で」
http://www.asia-movie.com/vmg/vmovie/season/season.htm

※ 大原美術館
http://iwe.kusa.ac.jp/OHARA/om_op.html

※ モネの<睡蓮>(大原美術館所蔵)
http://www.ohara.or.jp/pages/tenji_pages/tenji_monet01.html

(ヘルプ1)
5/18〜11/3の間に311輪のピンクと黄色の花が咲いたそうである。



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感動的な 第2話最終回でした。(;´_`;) カウベルさん、ありがとう。
いやぁ〜、「モネの庭」・・また行きたくなりました。
大原美術館、パリのオランジュリー美術館、それにジヴェルニーにも・・・
ところで第3話は?チョット一休み?・・期待してますよぉ〜(モグラ)

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